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思ったことを、とりあえず放言してみるブログ


by aatman

大分の汚職事件

ちょっと前の話になるが、大分の教員口利きの件は、これまで教員関係者の中では暗黙の了解になっていた慣習が、明らかな形で世間一般に知れわたってしまったと言うところに意味があると思う。これには、今後、全国にも波及しかねない要因を含んでいる。
 コネ、カネなしなら減点も―。教員採用試験をめぐる汚職事件の捜査が進むにつれ、試験制度が完全に形骸(けいがい)化し、口利きとわいろにむしばまれていた実態が明らかになってきた。

関係者によると、直近の二〇〇八年度の小学校教員採用試験における不正の手口はこうだ。当時、県教委義務教育課の人事班の総括だった江藤勝由容疑者(52)は一次試験の終了後、採点結果を集計した成績一覧表を作成。これを上層部に提出すると、口利きなどによって、不正工作を依頼されている受験生に「印」が付き、江藤容疑者の手元に一覧表が戻ってくる。同年度、不正工作を依頼されていたのは二十人前後。

江藤容疑者は「印」が付いた人物の得点を加点し、合格できるよう便宜を図っていたという。一次、二次の両試験でそれぞれ十五人ほどが加点を受けたとみられる。特に、試験の出来が悪かった数人は一次、二次の両試験で加点を受けた。

江藤容疑者は「加点によって、実際には合格していたはずの十人ほどを不合格にした」と話しているらしい。改ざんはこれだけにとどまらない。「加点ばかりすると、不自然に平均点が上がり、怪しまれる」として、依頼を受けていない受験者の得点を減点したケースもある。このような巧妙な手法がいつごろから行われていたのか、捜査機関は強い関心を寄せている。(大分合同新聞
その間働き続ける(続けた)とはいえ、300万前後の金で退職金を含めて3億円近い仕事が入るなら、今の就職難の世代なら、誰でも職を買うと思う。この金を払って職を得るという行為自体は、必ずしも間違ってはおらず、人材紹介業者も年収の3割分くらいの金は取る。年収1000万の仕事を紹介してもらうのであれば、300万くらいの手数料を払うのはそう不自然なことではない。

今回の件で問題なのは、採用側が自分の立場を利用して不正に「収賄」を行い、採用試験がある職種にもかかわらず、「合格者を落とし」、不合格者を「教員」に採用したという点にある。結局、不適格者が合格して、学校における試験や、成績評価などの意味が大きく損なわれることになったし、適格者が不正に減点されて不合格になったことで、教育や学習により能力を開発することの意義も否定された。これは教育機関としては致命的な自己矛盾である。そもそも、金を積んで教師になりたいと考える人間に、人を教え育むと言う気概が有るのかどうかすら疑問である(これは、研究業績を積んで教員になる大学「教員」ににも言えることだが)。

一般に、義務教育における教職と言うものは、国や自治体からの補助金で成り立っていて、実際の受益者であるべき学生からの授業料は補助金にくらべると微々たるものである。これは、子供の教育は国の(自治体の)財産であると言う考えからそうなっていると信じているが、このような出資者と受益者の乖離の問題点として、教員、教育に対する出資者からのチェックが甘すぎることが挙げられる。また、生徒の初期能力の違いが存在するため、成果の判断基準がはっきりしないことも問題である。このような状況から、不適格なものを教職につけても、出資者から咎められることは無く、最終的に受益者(学生)の存在を無視しても成り立ってしまう、教員利権が構成されてしまったとしても何の不思議もない。能力の無い不適格者が職に就き、管理者側が不正を行い、出資者側もろくにチェックしない。これでは、学校は税金を使った既得権者の集団で、不正の温床でしかない。

このような記事を読むと、なんとも言えない気分になる。
約10年前、ろう学校の教諭を目指し3回受験して不合格になった女性(33)は、金による口利きの誘いを断り、夢を断念した。「お金を使って先生になって、何を子どもに教えるのか。後悔はしていないけど、悔しい」。ニュースに接するたび、やりきれない思いにとらわれるという。

(中略)2回目の受験で一次試験に合格した後、母親が知人から「200万円で県会議員に頼めば採用される」と持ちかけられた。母親から「一生を左右することだから、親せき中からお金を集めれば」と打ち明けられた。が、「それで先生になって子供たちに何を教えるのか」と断った。今回の事件を耳にして「やっぱりな」と思った。

女性の母親も悩んだ。事件発覚後、ニュースをあえて娘に知らせなかった。母親は「たくさんの善良な人が悲しい思いをした。金を持っている人が先生になるのではなく、子供たちのことを本当に考える人が先生になってほしい」と話す。
このような現状では、子供や親がまともに教師を信頼するはずもないだろう。金銭の授受で不正に採用された教師がしゃあしゃあと教壇に立っていると言う時点で、教育に意味があると言っても、何の説得力も無い。学習や自己研鑽そのもの以上に、金やコネ、立ち回り方のほうが重要ということを、教員の存在そのものが主張しているのだから。これでは、教育への信頼は地に落ちたと言っていいだろう。もちろん、大分県の教員の中には、まともに合格したものも多数いると思うが、一部に不正に合格した者が隠れていると言うだけで、全員が信頼を失うに十分過ぎる。これに対して、
大分県の教員採用汚職事件を受け、県教委は16日、過去の試験について調査し、不正によって合格した受験者が判明した場合はこれを解雇し、本来合格していた受験者を救済する方針を決めた。一方、一連の事件の再発防止策としてプロジェクトチームを設置するなどの教育行政の改革も進める方針を打ち出した。

臨時会後の会見で、小矢教育長は「不正の確認がどこまでさかのぼれるか、プロジェクトチームで検討したい。可能なところまでさかのぼりたい」と述べた。各年度末に答案用紙などを破棄していたことが判明しており、記者団から救済策の実効性を問われると「資料の確認ができれば毅然(きぜん)とした対応を取る」と答えた。(元記事は削除された模様)
とあるが、これでは不十分だと思う。実際、続く記事を読むと、これはポーズだけで、もみ消し工作は既に終了済みと言う可能性もある。
臨時会後の会見で、小矢教育長は「不正の確認がどこまでさかのぼれるか、プロジェクトチームで検討したい。可能なところまでさかのぼりたい」と述べた。各年度末に答案用紙などを破棄していたことが判明しており、記者団から救済策の実効性を問われると「資料の確認ができれば毅然(きぜん)とした対応を取る」と答えた。

文部科学省教職員課は「『誰が本来なら合格していたのか』をどう判定し、(不正の)証拠をどうそろえるのかが問題になる」との見方を示している。YAHOOニュース
こうなってしまった以上、全ての教員が適格であること、つまり、もう一度全員が採用試験を受け、全ての不適格者を排し、教育の正当性を示すくらいしか打開策はないと思う。これで落ちるような教員なら、もう一度、来年の試験を受けてくださいというしかないのではないか。大量の解雇者を出すと授業に穴があくとか、そういうレベルで躊躇していい問題ではないと思う。新しい候補者ならいくらでもいるわけだし。

そう思ってたら、また新しい記事が出ていた。
県教委は不正合格者の採用取り消しへ
底ナシの様相をきたしている大分県の教員採用汚職事件。過去2年間で「カネ」と「コネ」を使って不正合格した教師は30人以上とされ、全合格者の半数近くに及ぶ。口利きはバブル崩壊後10年以上も横行していた。

大分県教育委員会は、不正な点数改ざんなどが確認された合格者の採用を取り消す方針を固めた。相当な数の教師がクビになるのは間違いない。

今回、県教委の上層部に自分の子供の「口利き」を依頼して逮捕された親の教師は、3人。

金券100万円、現金300万円と引き換えに採用された浅利の長男(26)と長女(23)、同じく金券200万円で採用された矢野の長女(23)は、生徒に合わせる顔がなかっただろう。

ところが、驚いたことに“疑惑の教師”3人は、事件発覚後も教壇に立ち続けていた。

「小学校に勤務する浅利の長男は、保護者会で『母親が間違ったことをして、すみません』と謝罪し、教育にかける意気込みを語ったそうです。別の小学校で働く長女は、事件発覚後に半月ほど休んだが、今は職場に戻っています。彼女は不正採用を知らなかったようで、復帰初日には担当クラスの生徒の前で『私は母親に憧れて教師になりました』と言ったきり、泣き崩れてしまいました」(県教育関係者)

両親の逮捕から1週間は休んでいた矢野の長女も職場に復帰。しかし、授業参観やPTAの会合などで無断欠席を繰り返して、保護者とトラブルになったという。もうすぐ、夏休み。2学期が始まれば、ほとぼりが冷めているとでも思っているのか。
この感覚のずれ具合、本当にひどいと思う。自分は悪いことしたとは思っていないんだろうし、試験くらい受からなくても、自分は教師を続けて行けると確信しているのだろうか。『母親が間違ったことをして、すみません』とか、生徒の前で無き崩れるとか、自分が小学生以下じゃないかと言いたくなる。大人なら、仮にも教師と言う職にあるものなら、「間違った方法で先生になってごめんなさい。」くらいは言うべきだし、一回辞職して試験を受け直すべきだと思う。何でこんなに他人事のように話し、責任も取らないと言う態度に出るのかが理解出来ない。本当に教育現場は廃退しているんだと思わされた。もっとうんざりさせられることは、このようなことが大分県だけで起こっているのではないことである。実のところ、教師がコネで優先的に採用されるというのは、他の都道府県でも実例を聞いたことがある(金銭の授受は無かったと言うが)。

教員全て人格者であれとは言わないが、子供の成長に携わる人間としてある程度の品格と実力は必要だと思う。今回の件を見ていると、そのどちらも感じられず、本当に今の学校に教育が存在するのかどうかも疑問に思うようになって来た。こんな反面教師だらけの学校なら、学校に行かせたくないと思う親もいるかもしれないし、そもそも子供が大人への信頼を失ったり、自己研鑽に意義を見いだせなくなると思う。義務教育の現場がそういうレベルであることに心底うんざりである。

大量の金券の処分から予期せず明るみに出た大分の件だが、これは、とんでもない疑念の引き金を引いてしまったのではないか。同じような調査をすれば、すねに傷を持つところはいくらでも出て来るはずだ。今後、このような疑念はどこの学校でも生じるだろうし、これは追求すべきことだと思う。こうなった以上、大分県の教師のみならず、全国の学校で自主的に再試験を行って、教師の適格性を示していくべきではないだろうか。最終的には、そういう教育機関が選択され、生き残って行く(べきだ)と思う。教育は、国の力を押し上げる最も確実な方法であり、決して疎かにしてはならない部分で、教職を金やコネで切り売りすることは、給料だけでなく、国の未来をも食いつぶす行為である。適性検査は、不正が有ろうと無かろうとやるべきだろう。これは出資者である国や自治体の責任でもあり、厳正に対処して欲しい。



追記

どうやら、大分県警は良い仕事をしているようだ。ここは徹底的にやって、良い前例を作って欲しい。
大分教員汚職:「本来の合格者」特定へ 県警がデータ復元

 大分県の小学校教員採用汚職事件に絡み、県警は07、08両年度の全受験者のうち点数水増しにより不正合格した受験者を割り出すとともに、逆に合格圏内からはじき出された不合格者の特定作業にも着手した。不正合格者は両年度の合格者計82人のうち半数以上とされている。県警は押収した県教委参事(当時)らの公用パソコンから消去された採点データの復元作業をほぼ終えており、県教委と連携し“被害者”の何らかの救済に役立てたい考えだ。

(中略)一方、県教委は過去の試験について調査し、不正により合格したと判明した場合は採用を取り消す方針を打ち出しているが、答案用紙などは各年度末に破棄しているなど、本来の合格者の特定は難航が予想されている。しかし、県警は今回の事件で、本来の合格者が不合格にされた事態を重要視しており、少しでも救済を図れるよう、点数改ざんの詳細な過程も解明する方針。(毎日新聞

# by aatman | 2008-07-27 05:58 | 教育
水面下で増える「成果主義」の形骸化と言う記事を読んだが、今さら何を言っているのだろうと思った。導入時点で既に、経費削減が目的のリストラの一環として、「偽」の成果主義が導入されたのではなかったか。そもそも、ポジティブな成果に対して報酬で答えるのは成果主義と言えるかもしれないが、ネガティブな結果に対してペナルティを与えるのは成果主義とは言えないだろう。むしろ、職場に序列を作って下から切り捨てて行く減点主義と言える。

これで経費が削減され、業績が上がると言うならどこだってやると思が、実際は富士通などの例で代表されるように、皆が個人プレーに走って、部下を教育しなかったり、評価される部分の仕事だけに人が集中したりと、会社(組織)の最大のメリットであるはずのチームプレーが失われると言う、惨憺たる結果だったはずだ。

そもそも、成果主義と言うのは、大きな目的の決まっている、チーム単位で当てはめてることは出来ても、役割分担の決まっている、個人に当てはめることは難しい。難しい仕事、不可能な仕事をまわされれば、どんなに出来る人間でも「業績」は下がってしまうし、逆もまたそうで、結局上司のさじ加減ひとつで決まってしまうようなものなら、評価するだけ時間の無駄とも言える。任天堂の岩田社長は、日経ビジネスの記事の中でこう言ったらしい。
「新しいことは、どんどんやっていますよ。組織のあり方だったり、評価の方法だったり。変えていないわけじゃない。ですが、個人を業績で評価するという方向では全然ない。だって会社って、大半の人は仕事を選べないんですよ。仕事を選べない人を相手に、結果で責任を取らせてどうするのよって思いますから。あの、やっぱり外から見ると任天堂は変な会社なんでしょうか(笑)」
さすが、伸びている会社はやることに筋が通っているということか。もし、仮に、結果に対して責任を取る人間がいるとすれば、それは管理職に他ならないと思う。「責任者は責任取るために居る」のだろうし。

むろん、組織の中でのルールと言うのはあって、それに反するもの(いじめとか、ハラスメント、他人の時間を無駄にするような遅刻など)にはマイナス評価は仕方が無いと思う。しかし、業務成績に関しては、明確な落ち度がない限りやらない方が良いと思う。特に、上にもあるように、平社員に責任取れという上司(責任者)がいたら、職務不履行だし、パワハラだと思う。結局、マイナス評価と言うのは職場の規律を保つためには重要だが、業績アップには繋がらないことは、最初から予見出来たのではないか。コスト削減と業績アップはそう簡単にはリンクしないと思う。

もちろん、このような減点主義が正しいわけも無くて、元記事の中でも、
企業に波紋が広がるなか、2005年には、それまで成果主義の旗振り役だった経団連がついに方針を転換。「経営労働政策委員会報告」に成果主義の運用に留意する旨の勧告が初めて付け加えられたのだ。

それ以降、企業の「成果主義熱」はトーンダウンし、制度の一部見直しを行なう企業も出始めた。情報も以前ほど表に出て来なくなったため、今では世間一般の興味さえ薄れている感がある。
とあり、偽の成果主義はうまく行かなかったことは皆認めているのだと思う。しかし、話はここで終わっていない。
しかし、そんな状況になっても止められない理由の多くは、「導入時の経営者や人事担当役員が目を光らせており、廃止を提案しずらい」という、なんともお粗末なもの。
ここまで来ると、もう笑うしかない。これでよく会社が成り立つもんだと、むしろ感心する。旧態依然として何も変わらないのはアカデミアや、公務員の既得権者くらいのものかと思っていたが、むしろ一般企業の既得権者の方がひどい有様なのかもしれない。

このような状況に対して、記事の中で示されている解決策と言うのは、
「目先の報酬だけでなく、社員の成果に仕事で報いよ」と力説するのは、ベストセラー「虚妄の成果主義」の著者でもある高橋伸夫・東京大学経済学部教授。

「年齢に応じてスキルを積めば、より重要な仕事を任せられ、使える経費や給料が上がった年功序列制度は、そもそも合理的な報酬システム。社員の待遇にはちゃんと差が付いており、40-50代で役員もいればヒラ社員もいた。いっそ、年功制に戻してみてもよいのでは」(高橋教授)。

もちろん、個人の能力を公平に評価する成果主義には、理にかなった側面もある。しかし、常に目先の収入やポジションに一喜一憂しなくてはならないため、社員が「自分の価値」を実感できなくなるケースも多い。

成果主義は、本当に日本の企業風土にマッチしているのか? そんな基本中の基本を改めて議論すべき時期にさしかかっている。企業にとって、成果主義をきっぱり捨て去る勇気も必要なのである。
と言う意見なのだが、これもまたピンと来ない。そもそも、導入したのは成果主義ではなくて、減点主義ではないのか。成果主義はまだ、評価を受けてすらいない状態だと思う。また、高橋教授は年功制と成果の評価をまとめて年功制と言っているが、年功でリニアに上がる部分と、同年代の社員の待遇の違いが生じる部分は分けて考えるべきだろう。この後者の部分が、実は成果主義につながるもので、これを成果に対するポジティブな評価とリンクさせると言うのが、加点主義というか、成果主義の本質なのでは無いかと思う。また、成果主義は、ある程度チームをコントロール出来る、管理職クラスから導入すべきもので、そこまでは経験や勤続年数でリニアに給料やポストが上がって行く年功制でも悪くないと思う。


蛇足だが、このような加点主義にも問題はあって、今のアカデミアの業績主義などを見ていてもわかる。一つ目の問題は、ポストの数と言ったインセンティブが少なすぎると、本当に一握りの人間(現状では0.5%くらいか)しか評価を受けられなくなり、過当競争と業績インフレが起こる。その結果、既存の教授を超えるほどの業績を叩き出しても職がないと言った、世代間問題、そして既得権問題にまで発展してしまっているのが現状である。(そもそも、自分でほとんど仕事を選べない、院生、ポスドクに成果主義を課すと言う時点で、間違っているし。)

また、もう一つの問題として、異分野間の業績をどうやって比べれば良いかと言う問題もある。これで安直に、有名雑誌に掲載されたものを評価する、などとしてしまうと、あっという間に多様性が失われ、有名雑誌に掲載されやすい研究分野だけが生き残ると言う結果になってしまう。これは会社でも同じで、直接的な評価を受けやすい部署だけが評価されたら、組織のバランスが崩れてしまう。

結局、成果主義と言うのは、その範囲を広く取り過ぎても(組織全体)、狭く取り過ぎても(末端の個人)うまく行かず、評価する者の比較能力が大きく問われるシステムだと思う。こうなると、現状では、同業種の中の、それも自分で仕事を作れる管理職、役員クラスに適用すると言うのが妥当ではないかと思う。ともかく、いま言われてる「成果主義」は、経費削減が目的の、減点主義というまがい物だと思う。本当の成果主義はまだ始まっていない。
# by aatman | 2008-07-01 11:29 | 研究・キャリア
学会視察や旅行のついでに、知り合いの先生が話があると言うので、聞いて来た。どうやら、任期付教員と言う名の、ピペット土方(今回はピペット頭か)への勧誘らしい。今の日本には、よっぽど人材がいないのだろうか。確かに、若手のキャリアパスと言う点では、30代から任期付教員を5年もやれば、いわゆる35歳ラインを確実に越えてしまい、民間就職は管理職くらいしか残らない。これは、ライフサイエンス系の研究者が中途採用で入るには狭すぎる門である。結局、35歳以上の選択肢は、アカデミアで教授職を得るか、自営業でやって行くくらいしか道がない。

加えて、任期付教員は雇用条件も不安定だ。大学に雇われる正規教員と違って、任期付教員は大型プロジェクト予算、もしくはグローバルCOE、テニュアトラック補助金などの資金を財源としていることが多いので、金の切れ目が縁の切れ目になる。政府の企画頼みの他力本願、ボスの気分次第ですぐ切られる単年度契約と言う点でも、ポスドクとほとんど変わらない。そういうポジションなので、若手がやりたがらないのはなんとなくわかる気はするが、よりにもよって、なぜ、日本のアカデミアからはみ出して、半ば隠居しているような人間に、こんな話が回って来たのだろうか。

理由を聞いてみて、納得した。研究費は取ったのだけれども、研究分野についてはほとんど知らないので、分野に詳しく、プロジェクトチームをまとめられるシニアの人間が必要だったことが一つ。そして、この分野は競争が激しく、遅れをとればまともな論文にはならないため、短期間で確実に業績が欲しい人には高リスクで、人材が集まらなかった(逃げられた)ことが二つ目だ。つまり、ある程度知識と面識があって、アカデミアに執着がない人間を持ってくれば、スムーズにプロジェクトを開始できるし、終了時にも、就職を世話しろとか、使い捨てにされたなどとは言わないので、笑って別れることができる。一石二鳥と言うわけだ。

実のところ、この話、「日本はこの分野をリードしていて、成功の可能性は大いにある」とか、「いつかは独立させてやるから力を貸してくれ」などと、適当な嘘を言って来たら、即座に断ろうと思っていたのだが、「成功の保証もないし、将来のことも何もしてやれない。それで良いなら、サポートするので、5年間、研究に集中してくれ」と、直球で来る所は要領を得ている。どうやら、こちらのことはリサーチ済みのようだ。これは、アカデミアでのキャリア形成とは考えず、知的好奇心を満たす、人生の楽しみの部分と割り切れば、悪くない条件だとは思う。

それで、もうちょっと細かい賃金などの条件を聞いたのだが、こっちはさすがにあきれた。ある程度予想はしていたが、それ以上に給料が安い。「ははは・・・これは冗談ですよね」と言ったら、「はっはっは、これが相場なんだけど、失礼だったかな」と言って、2倍くらいの額になった(なんて適当なんだ)。でも、目は笑ってない。これにはまだ続きがあって、その後、事務方から、他の任期付教員と差が出てしまうのはまずいと言う、非常に日本的なクレームがついて、結局賃下げされる見込みと相成った(これも計算済みか?)。まったく、先が思いやられる。

今回の件では、もともと仕事も切り上げ時なので、近いうちに一度日本に引き上げて、次を考える予定ではいた。しかし、再びアカデミアに戻ると言うのは全く考えていなかった。あの閉塞感に満ちた空気の中に戻ると言うのには、少なからず抵抗感があるし、他に始めようかと思っていたこともある。また、給料も半分くらいまで減るので、資産形成にもマイナスだと思う。ただ、一方で、人間いつ死ぬかなんてわからないのも確かで、財を成すことばかり気にしていてもしょうがないというのはわかる。また、今回は、大学に教育を受けに行くわけでも、そこでずっと働くわけでもない。若いうちに(と言うほど若くはないが)、やりたいことをやっておくと言うのもまた人生か。さて、どうしたものだろうか。
# by aatman | 2008-06-27 15:38 | 研究・キャリア
最近の刹那的殺人や、それに関する報道を見ていると、非常に疑問に思うことがいくつもある。例えば、本当にナイフなどを所持した無差別殺人が多いのかということ、本当にゲームやマンガが殺人を助長しているのかということ、そして秋葉原の犯行が、派遣社員の不遇を世に知らしめ、世の中を変えたと言うような見解には、その見識を疑う。

まずはじめに、近年のマンションでの誘拐殺人や、秋葉原での無差別殺人などの刹那的な凶悪殺人が多いというのは、マスコミの誘導だと思う。理由なく、刹那的に見ず知らずの人間を殺すような事件は、昔もあったはずだし、むしろ昔の方が多かったはずだ。それで検索していたら、こんな記事を見つけた。ここでリンクされている元のデータを見ると、殺人の件数は、昭和30年をピークに、今早く1/3まで減少している。他のリンクを見ても、刹那的殺人の内容は過去とそう変わらないことが窺える。

次に、このような事件に関連して、ゲームやマンガが凶悪犯罪につながると言うような論調がまことしやかに伝えられているが、これは違うと思う。今時、過去に一冊のマンガも読んだことがなく、ゲームもやったことがないという若者がいるか、と言われたら、1%もいないと思う。殺人者ならばマンガ(ゲーム)を持っているは成り立っても、逆はどう考えても反例が多すぎる。ゲームやマンガを持っていても、人を殺さない人間の方が圧倒的に多い。むしろ、ゲームやマンガの出現後の発生率が低いことからすれば、ゲームやマンガが刹那的な殺人を減らしているとも考えられないわけではない。

それに、ゲーム、マンガと同じ論調で考えれば、新聞、ニュース、テレビドラマ、映画、小説といった、殺人を含んだあらゆるコンテンツは有害であると判定すべきなのに、ゲームとマンガだけが標的になるのも変な話だ。ただ単純に、自分は読んでない、やってないからと言う理由で、それを標的にして叩いているのではないのかと思う。むしろ、毎日毎日、テレビや新聞から垂れ流される殺人の詳細や警察の捜査状況などの方が、実例を元にした殺人方法や、どうしたら次は捕まらないか(ばれないか)などのケーススタディに繋がっているように思える。もし、ゲームやマンガが殺人に影響するとしても、それは刹那的に人を殺してしまった後の、遺体処理方法などに関する知識的な部分だと思う。殺人を犯すまでの閾値と言うのは、人間の持って生まれた性格とか、周囲からのストレスなどによる影響の方が大きいと思う(いじめとか戦争、疎外感、無力感など)。

最後に、最近のネットのニュースを見る限り、秋葉原の殺人犯は、派遣社員の不遇を象徴する、英雄的存在に祭り上げられている感すらある。このことを非常に疑問に思う。そもそも、彼の過去や人物像を(喜々として)報道する理由が見当たらないのに、勝手に派遣社員の不遇と結びつけて報道するのは、話題作りとしか思えない。もっと不遇な立場でも、真面目に生きている人間はたくさんいる。なぜ、見ず知らずの人間を殺傷しまくった者の意見が採り上げられて、真面目に生きている人間の声が採り上げられないのか。こちらの方がおかしいと思う。

特に、こんな発言している政治家を見ると、見識を疑う。
町村信孝官房長官は11日午後の記者会見で、東京・秋葉原の無差別殺傷事件に関して「(派遣社員だった加藤智大容疑者の)身分上の不安定さが犯行に駆り立てた理由であったのなら、できるだけ常用雇用化していくという問題意識で考えないといけない」と述べ、労働者派遣制度の在り方を見直す必要があるとの認識を示した。(時事ドットコム)
たとえそのきっかけが、間違った日本の非正規雇用システムであったとしても、無差別殺人により、それを訴えるという手段を作ってはならないと思う。罪は罪であり、殺人者は殺人者でしかない。非正規雇用システムの改革と、この事件とを関連させることは、絶対に避けるべきだと思う。仮に、この事件が後に非正規雇用を見直すきっかけになった、と言う評価をされようものなら、社会的問題に無差別殺人で抗議するという、間違った考えの人間が出て来るとも限らない。いや、むしろ抗議のためと言う大義名分で、欲求を解き放ち、無差別殺人を行うものが出て来るかもしれない。実際、すでに模倣者が現れる兆候がある。
「秋葉原と同じことやる」 新聞社に男が電話

11日午前11時半ごろ、福島市太田町の福島民報社に若い男の声で「秋葉原の事件と同じようなことをやる」と電話があった。同社から通報を受けた福島署がJR福島駅前を中心に約30人態勢で警戒したが、異常はなかった。
 同署によると、男は「秋葉原の事件のことだけども、自分も同じようなことをやると思う」とだけ言って電話を切った。
 同署は電話の発信者を特定するための捜査をする一方、12日以降も駅前や繁華街など人が集まる場所を中心に警戒を続ける。(産経ニュース)

人間は社会的な生き物であり、集団に属し、そのルールを守ることで利益を共有している。しかし、人間は同時に動物でもあり、ルールから離れて、有無を言わさずに他を圧倒出来る、知的、肉体的能力も持っている。社会から無能扱いされ、利益の共有の輪から外されれば、自分の力を社会の前に見せつけたり、自分はどれだけのことができるのかを試したいという衝動が沸いて来るのは想像に難くない。このような社会から疎外され、ルールを守る必要が無くなった個体が現れることを、出来る限り未然に防げるような社会保障システム(ベーシックインカムなど)は、構築する必要があると思う。しかし同時に、今回の通り魔殺人のような結果を認めるようなことはあってはならないとも思う。これはテロリストに譲歩するのと同じ行為であり、今回の殺人から、世の中が変わったと認識させるような行為は厳に慎むべきだと思う。
# by aatman | 2008-06-12 10:23 | 社会
移民、1000万人受け入れ提言…自民議連案と言う記事を読んでびっくりした。移民を受け入れることそのものについては反対しないし、むしろ、優れた人材が日本に入って来ることは好ましいことだと思う。しかし、記事を読む限り、自民党は考えなしに桁はずれた数の移民を導入し、現存の日本という国の形を崩そうとしているようにしか思えない。
自民党の「外国人材交流推進議員連盟」(会長=中川秀直・元幹事長)がまとめた日本の移民政策に関する提言案が7日、明らかになった。

人口減少社会において国力を伸ばすには、移民を大幅に受け入れる必要があるとし、「日本の総人口の10%(約1000万人)を移民が占める『多民族共生国家』を今後50年間で目指す」と明記した。

週明けの会合で正式に取りまとめ、福田首相に提案する。
どれもこれも疑問だらけである。まず第一に「人口減少社会において国力を伸ばすには、移民を大幅に受け入れる必要がある」と言う理由がわからない。何故外国人でなくてはならないのか、そして、どのような人材を受け入れたいのか。すでに日本には、資格や学があっても職がない若者なら少なからず存在するし、こう言った若者の増加が少子化につながっているとも言える。まずはここをうまく行かせるのが筋ではないか。これが解決しないのに、外から移民を受け入れたら解決するのか。するわけが無いと思う。

また、なぜ、人口の10%という数値目標が必要なのか。高度なスキルを持つ外国人の受け入れは、既に行って来たはずだし、これに反対する理由はないと思うが、この10%という数は多すぎる。どう考えても、これが高度人材を意味しているようには思えない。もし、自民党が、(安い賃金では)国民がきつい仕事に就きたがらないと言う理由で、外国人を移民させ、働かせようと考えているのであれば、考えが甘すぎるだろう。確かに日本国内に財を持たない移民は、仕事が無ければ生きられないので、はじめは必死に働くだろうが、一度仕事がうまく行かなくなって心が折れたら、あっという間に生きるすべを失う。このような移民がスラムを作り、法に背いた方法で生計を立てると言うのは、これまでの移民受け入れ国で起こって来た問題ではなかったのか。

移民と言うのは、一度受け入れたら国民であり、日本という枠組みのもとに彼らの生活を守ると言うことでもある。このような職を失った移民の社会保障も行えるくらい、今の日本には余裕があるのだろうか。そもそも、移民達が日本国民としてやっていけるほど、言語のインフラは整っているのか。都合良く安い労働力だけを搾取出来ると思っているなら、何倍ものつけを払わされることになるだろう。


そして、なぜ少子化の原因を見極めないうちに、移民に頼るのかというのも疑問である。この状態のまま移民を受け入れれば、1000万人の移民が家族を呼んだり子どもを作ったりして、すぐに2000万、3000万と増えていくのは目に見えている。逆に日本人はこのままの勢いで減少を続ければ、数十年後には5000万人程度まで減少するだろう。日本という国土の上に住まう人口は増えたとしても、遅かれ速かれ、今の日本に居る、いわゆる「日本人」の減少は止められない。「日本人」の少子化に関しては、移民は解決になるどころか、その存在に終止符を打つ、とどめの一撃になるのではないか。

また、「多民族共生国家」、「国力の伸張」とは一体どういうことなのか。この緑豊かでインフラの整った国土を、他の民族にも開放することで、日本はどんなメリットが得られてどう発展出来るのだろうか。実のところ、「他民族共生国家」となった日本が、どのくらいと日本と呼べるものなのかすら怪しいと思う。結局、日本という国土の上に住む民族が日本人であるという、中華的思想の国に変わっていくのだろうか。明確な指針を示さないまま、スローガンや数値目標が一人歩きする状況に、非常な危機感を感じる。


たしかに、移民受け入れにはメリットもあると思う。おそらく、大量移民が始まれば、日本は変わるだろう。移民との対立により、民族主義や、愛国心が育ち、「日本人」同士の繋がりが強固になるかもしれない。民族間の暴力による不条理な死や、人権侵害などの社会的な不安が増せば、流行やテレビ番組よりも、生きることの意味をもっと真剣に考えるようになるかもしれない。そして、外見も思想も違った人間を呼び込むことで、人が平等ですらないことを自覚できるかもしれない。しかし、そういったことは外圧無しに悟ることができれば、それに越したことはないし、呼び込まれて対立させられる移民たちにとっても幸福なことではないだろう。まずは、どういう理由で移民を導入したいのかを明確にして、議論を尽くす必要があると思う。
# by aatman | 2008-06-09 07:42 | 政治