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思ったことを、とりあえず放言してみるブログ


by aatman

最近の刹那的殺人に思うこと

最近の刹那的殺人や、それに関する報道を見ていると、非常に疑問に思うことがいくつもある。例えば、本当にナイフなどを所持した無差別殺人が多いのかということ、本当にゲームやマンガが殺人を助長しているのかということ、そして秋葉原の犯行が、派遣社員の不遇を世に知らしめ、世の中を変えたと言うような見解には、その見識を疑う。

まずはじめに、近年のマンションでの誘拐殺人や、秋葉原での無差別殺人などの刹那的な凶悪殺人が多いというのは、マスコミの誘導だと思う。理由なく、刹那的に見ず知らずの人間を殺すような事件は、昔もあったはずだし、むしろ昔の方が多かったはずだ。それで検索していたら、こんな記事を見つけた。ここでリンクされている元のデータを見ると、殺人の件数は、昭和30年をピークに、今早く1/3まで減少している。他のリンクを見ても、刹那的殺人の内容は過去とそう変わらないことが窺える。

次に、このような事件に関連して、ゲームやマンガが凶悪犯罪につながると言うような論調がまことしやかに伝えられているが、これは違うと思う。今時、過去に一冊のマンガも読んだことがなく、ゲームもやったことがないという若者がいるか、と言われたら、1%もいないと思う。殺人者ならばマンガ(ゲーム)を持っているは成り立っても、逆はどう考えても反例が多すぎる。ゲームやマンガを持っていても、人を殺さない人間の方が圧倒的に多い。むしろ、ゲームやマンガの出現後の発生率が低いことからすれば、ゲームやマンガが刹那的な殺人を減らしているとも考えられないわけではない。

それに、ゲーム、マンガと同じ論調で考えれば、新聞、ニュース、テレビドラマ、映画、小説といった、殺人を含んだあらゆるコンテンツは有害であると判定すべきなのに、ゲームとマンガだけが標的になるのも変な話だ。ただ単純に、自分は読んでない、やってないからと言う理由で、それを標的にして叩いているのではないのかと思う。むしろ、毎日毎日、テレビや新聞から垂れ流される殺人の詳細や警察の捜査状況などの方が、実例を元にした殺人方法や、どうしたら次は捕まらないか(ばれないか)などのケーススタディに繋がっているように思える。もし、ゲームやマンガが殺人に影響するとしても、それは刹那的に人を殺してしまった後の、遺体処理方法などに関する知識的な部分だと思う。殺人を犯すまでの閾値と言うのは、人間の持って生まれた性格とか、周囲からのストレスなどによる影響の方が大きいと思う(いじめとか戦争、疎外感、無力感など)。

最後に、最近のネットのニュースを見る限り、秋葉原の殺人犯は、派遣社員の不遇を象徴する、英雄的存在に祭り上げられている感すらある。このことを非常に疑問に思う。そもそも、彼の過去や人物像を(喜々として)報道する理由が見当たらないのに、勝手に派遣社員の不遇と結びつけて報道するのは、話題作りとしか思えない。もっと不遇な立場でも、真面目に生きている人間はたくさんいる。なぜ、見ず知らずの人間を殺傷しまくった者の意見が採り上げられて、真面目に生きている人間の声が採り上げられないのか。こちらの方がおかしいと思う。

特に、こんな発言している政治家を見ると、見識を疑う。
町村信孝官房長官は11日午後の記者会見で、東京・秋葉原の無差別殺傷事件に関して「(派遣社員だった加藤智大容疑者の)身分上の不安定さが犯行に駆り立てた理由であったのなら、できるだけ常用雇用化していくという問題意識で考えないといけない」と述べ、労働者派遣制度の在り方を見直す必要があるとの認識を示した。(時事ドットコム)
たとえそのきっかけが、間違った日本の非正規雇用システムであったとしても、無差別殺人により、それを訴えるという手段を作ってはならないと思う。罪は罪であり、殺人者は殺人者でしかない。非正規雇用システムの改革と、この事件とを関連させることは、絶対に避けるべきだと思う。仮に、この事件が後に非正規雇用を見直すきっかけになった、と言う評価をされようものなら、社会的問題に無差別殺人で抗議するという、間違った考えの人間が出て来るとも限らない。いや、むしろ抗議のためと言う大義名分で、欲求を解き放ち、無差別殺人を行うものが出て来るかもしれない。実際、すでに模倣者が現れる兆候がある。
「秋葉原と同じことやる」 新聞社に男が電話

11日午前11時半ごろ、福島市太田町の福島民報社に若い男の声で「秋葉原の事件と同じようなことをやる」と電話があった。同社から通報を受けた福島署がJR福島駅前を中心に約30人態勢で警戒したが、異常はなかった。
 同署によると、男は「秋葉原の事件のことだけども、自分も同じようなことをやると思う」とだけ言って電話を切った。
 同署は電話の発信者を特定するための捜査をする一方、12日以降も駅前や繁華街など人が集まる場所を中心に警戒を続ける。(産経ニュース)

人間は社会的な生き物であり、集団に属し、そのルールを守ることで利益を共有している。しかし、人間は同時に動物でもあり、ルールから離れて、有無を言わさずに他を圧倒出来る、知的、肉体的能力も持っている。社会から無能扱いされ、利益の共有の輪から外されれば、自分の力を社会の前に見せつけたり、自分はどれだけのことができるのかを試したいという衝動が沸いて来るのは想像に難くない。このような社会から疎外され、ルールを守る必要が無くなった個体が現れることを、出来る限り未然に防げるような社会保障システム(ベーシックインカムなど)は、構築する必要があると思う。しかし同時に、今回の通り魔殺人のような結果を認めるようなことはあってはならないとも思う。これはテロリストに譲歩するのと同じ行為であり、今回の殺人から、世の中が変わったと認識させるような行為は厳に慎むべきだと思う。
by aatman | 2008-06-12 10:23 | 社会