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思ったことを、とりあえず放言してみるブログ


by aatman

成果主義は誰に当てはめるべきか

水面下で増える「成果主義」の形骸化と言う記事を読んだが、今さら何を言っているのだろうと思った。導入時点で既に、経費削減が目的のリストラの一環として、「偽」の成果主義が導入されたのではなかったか。そもそも、ポジティブな成果に対して報酬で答えるのは成果主義と言えるかもしれないが、ネガティブな結果に対してペナルティを与えるのは成果主義とは言えないだろう。むしろ、職場に序列を作って下から切り捨てて行く減点主義と言える。

これで経費が削減され、業績が上がると言うならどこだってやると思が、実際は富士通などの例で代表されるように、皆が個人プレーに走って、部下を教育しなかったり、評価される部分の仕事だけに人が集中したりと、会社(組織)の最大のメリットであるはずのチームプレーが失われると言う、惨憺たる結果だったはずだ。

そもそも、成果主義と言うのは、大きな目的の決まっている、チーム単位で当てはめてることは出来ても、役割分担の決まっている、個人に当てはめることは難しい。難しい仕事、不可能な仕事をまわされれば、どんなに出来る人間でも「業績」は下がってしまうし、逆もまたそうで、結局上司のさじ加減ひとつで決まってしまうようなものなら、評価するだけ時間の無駄とも言える。任天堂の岩田社長は、日経ビジネスの記事の中でこう言ったらしい。
「新しいことは、どんどんやっていますよ。組織のあり方だったり、評価の方法だったり。変えていないわけじゃない。ですが、個人を業績で評価するという方向では全然ない。だって会社って、大半の人は仕事を選べないんですよ。仕事を選べない人を相手に、結果で責任を取らせてどうするのよって思いますから。あの、やっぱり外から見ると任天堂は変な会社なんでしょうか(笑)」
さすが、伸びている会社はやることに筋が通っているということか。もし、仮に、結果に対して責任を取る人間がいるとすれば、それは管理職に他ならないと思う。「責任者は責任取るために居る」のだろうし。

むろん、組織の中でのルールと言うのはあって、それに反するもの(いじめとか、ハラスメント、他人の時間を無駄にするような遅刻など)にはマイナス評価は仕方が無いと思う。しかし、業務成績に関しては、明確な落ち度がない限りやらない方が良いと思う。特に、上にもあるように、平社員に責任取れという上司(責任者)がいたら、職務不履行だし、パワハラだと思う。結局、マイナス評価と言うのは職場の規律を保つためには重要だが、業績アップには繋がらないことは、最初から予見出来たのではないか。コスト削減と業績アップはそう簡単にはリンクしないと思う。

もちろん、このような減点主義が正しいわけも無くて、元記事の中でも、
企業に波紋が広がるなか、2005年には、それまで成果主義の旗振り役だった経団連がついに方針を転換。「経営労働政策委員会報告」に成果主義の運用に留意する旨の勧告が初めて付け加えられたのだ。

それ以降、企業の「成果主義熱」はトーンダウンし、制度の一部見直しを行なう企業も出始めた。情報も以前ほど表に出て来なくなったため、今では世間一般の興味さえ薄れている感がある。
とあり、偽の成果主義はうまく行かなかったことは皆認めているのだと思う。しかし、話はここで終わっていない。
しかし、そんな状況になっても止められない理由の多くは、「導入時の経営者や人事担当役員が目を光らせており、廃止を提案しずらい」という、なんともお粗末なもの。
ここまで来ると、もう笑うしかない。これでよく会社が成り立つもんだと、むしろ感心する。旧態依然として何も変わらないのはアカデミアや、公務員の既得権者くらいのものかと思っていたが、むしろ一般企業の既得権者の方がひどい有様なのかもしれない。

このような状況に対して、記事の中で示されている解決策と言うのは、
「目先の報酬だけでなく、社員の成果に仕事で報いよ」と力説するのは、ベストセラー「虚妄の成果主義」の著者でもある高橋伸夫・東京大学経済学部教授。

「年齢に応じてスキルを積めば、より重要な仕事を任せられ、使える経費や給料が上がった年功序列制度は、そもそも合理的な報酬システム。社員の待遇にはちゃんと差が付いており、40-50代で役員もいればヒラ社員もいた。いっそ、年功制に戻してみてもよいのでは」(高橋教授)。

もちろん、個人の能力を公平に評価する成果主義には、理にかなった側面もある。しかし、常に目先の収入やポジションに一喜一憂しなくてはならないため、社員が「自分の価値」を実感できなくなるケースも多い。

成果主義は、本当に日本の企業風土にマッチしているのか? そんな基本中の基本を改めて議論すべき時期にさしかかっている。企業にとって、成果主義をきっぱり捨て去る勇気も必要なのである。
と言う意見なのだが、これもまたピンと来ない。そもそも、導入したのは成果主義ではなくて、減点主義ではないのか。成果主義はまだ、評価を受けてすらいない状態だと思う。また、高橋教授は年功制と成果の評価をまとめて年功制と言っているが、年功でリニアに上がる部分と、同年代の社員の待遇の違いが生じる部分は分けて考えるべきだろう。この後者の部分が、実は成果主義につながるもので、これを成果に対するポジティブな評価とリンクさせると言うのが、加点主義というか、成果主義の本質なのでは無いかと思う。また、成果主義は、ある程度チームをコントロール出来る、管理職クラスから導入すべきもので、そこまでは経験や勤続年数でリニアに給料やポストが上がって行く年功制でも悪くないと思う。


蛇足だが、このような加点主義にも問題はあって、今のアカデミアの業績主義などを見ていてもわかる。一つ目の問題は、ポストの数と言ったインセンティブが少なすぎると、本当に一握りの人間(現状では0.5%くらいか)しか評価を受けられなくなり、過当競争と業績インフレが起こる。その結果、既存の教授を超えるほどの業績を叩き出しても職がないと言った、世代間問題、そして既得権問題にまで発展してしまっているのが現状である。(そもそも、自分でほとんど仕事を選べない、院生、ポスドクに成果主義を課すと言う時点で、間違っているし。)

また、もう一つの問題として、異分野間の業績をどうやって比べれば良いかと言う問題もある。これで安直に、有名雑誌に掲載されたものを評価する、などとしてしまうと、あっという間に多様性が失われ、有名雑誌に掲載されやすい研究分野だけが生き残ると言う結果になってしまう。これは会社でも同じで、直接的な評価を受けやすい部署だけが評価されたら、組織のバランスが崩れてしまう。

結局、成果主義と言うのは、その範囲を広く取り過ぎても(組織全体)、狭く取り過ぎても(末端の個人)うまく行かず、評価する者の比較能力が大きく問われるシステムだと思う。こうなると、現状では、同業種の中の、それも自分で仕事を作れる管理職、役員クラスに適用すると言うのが妥当ではないかと思う。ともかく、いま言われてる「成果主義」は、経費削減が目的の、減点主義というまがい物だと思う。本当の成果主義はまだ始まっていない。
by aatman | 2008-07-01 11:29 | 研究・キャリア